Apr.10.2022
/ 一生モノ
遠い南米にあるアンデスの空中都市マチュピチュ

「いつか行ってみたい」という場所は、きっとみなさんにもあると思います。テレビの紀行番組で見たあの場所、映画で恋人たちが抱き合ったあの場所…。人によってそれは様々でしょうが、日本から遠いとなかなか自分がそこに行く姿は現実味を持てないかもしれません。今回紹介するペルーのマチュピチュ遺跡も日本から遠く、簡単に行ける距離ではありません。そんなこともあり、私はマチュピチュ遺跡に立って遺跡を見渡した時、とうとうここまで来たんだという感慨でいっぱいになりました。その気持ちは今でもよく覚えているのです。

インカの空中都市マチュピチュとは?
日本とはほぼ地球の反対側にある南米のペルー。日本との時差は14時間で、昼夜はほぼ逆。飛行機で行くにも23〜30時間はかかります。そんな遠い国ペルーのアンデス高地に、今回紹介する“空中都市”マチュピチュがあります。
マチュピチュ遺跡があるのは、海抜2430mの山の尾根付近。この遺跡がアメリカの探検家によって発見されたのは、1911年のことでした。山の上にあることから麓からは見えず、長い間発見されずにいたのです。それが幸いし、町は破壊されずに残っていました。ここは人々が常時住む都市ではなく、インカの王族のための避暑地、あるいは別荘だったようで、人口も多い時で750人ほどだったようです。

霧の中のマチュピチュとインカ道
私が行った時(2015年9月)は観光にまだ時間制限がなく、朝イチで遺跡に行けばゆっくり過ごせたのですが、制限がある今は午後に行くのもいいかもしれません。というのも朝早くだと霧がかかることが多いからです。私は朝7時ごろに遺跡に到着しましたが霧が濃く、なかなか全体が見渡せませんでした。
マチュピチュ遺跡には、市街地や石垣の段々畑(アンデネス)、神殿や儀式に使われた岩などが残っています。ただインカは文字を持たない文明だったので、それらが何に使われたかはほとんど分かっていないようです。遺跡を見学している間、霧は次第に晴れてきましたが、山にはまだ雲が低く垂れ込めています。遺跡全体が見渡せるまで晴れるには時間がかかりそうだったので、私は歩いて小1時間の「太陽の門・インティプンク」まで行ってみることにしました。
これはマチュピチュへの入り口に当たる門で、かつてインカの人々が通っていた“インカ道”沿いにあります。途中でバックパックを背負って息を切らしながら遺跡へ向かう人たちと、何回もすれ違いました。彼らは麓からインカ道をたどり、歩いてマチュピチュへ向かう人たちです。正直、このトレッキングはかなり大変なようですが、かつてのインカの人々と同じ道をたどり、遺跡が見えて来たときには感慨深いものがあるのでしょう。

念願のあの風景がついに目の前に!
再び遺跡に戻り、雲が無くなるのを待ちました。10時過ぎ、向かいにあるワイナピチュの山の頂にかかる雲が切れ始めました。ようやく写真で見るのと同じマチュピチュの全景が見えたのは、11時ごろでした。
気づいたのは、遺跡とその奥にそびえるワイナピチュの山の写真、それはそう見える高台に立たないと撮れないということでした。マチュピチュはピラミッドやタージマハル、富士山とは違い、場所によってまったく異なる表情があります。それぞれ面白いのですが、「やっぱりマチュピチュ」と見えるポイントはこの場所しかありません。しかしそれが自分に「いつか行ってみたい」と思わせた風景ですから、晴れるのを待つのは仕方がありません。そしてその風景がようやく姿を現した時は、やはり感慨深いものがありました。
見たことがない場所に感動するのも旅ですが、写真で見慣れた場所に行って感動するのも旅だと思います。私のマチュピチュ行きは、「本当にここまで来たんだ」という今までの想いも含んだ旅でした。なので思い描いていた場所に立ってみる必要があったのです。これがもっと行きやすい場所だったら単なる記念撮影になったかもしれません。そんなお決まりの場所から見る眺めも、場所によっては“一生モノ”の旅になるのです。
[DATA]
マチュピチュ公式サイト(チケット購入ができます)( http://www.machupicchu.gob.pe/ )
(注意)チケットは遺跡では販売しておらず、事前購入制。2017年7月以降は入場の際は必ずガイド同伴(現地で手配可)、午前午後の部の指定制に。2019年1月以降はさらに条件が厳しくなり、滞在時間は4時間のみとなる予定。遺跡内にはトイレがなく、飲食物の持ち込みも禁止なので注意。