Apr.15.2022

/ 一生モノ

なかなか行けない世界遺産。北大西洋に浮かぶ、孤独な9つの島々 アソーレス諸島を訪れる

アソーレス諸島へはポルトガルや北米の都市から飛行機が出ている

太平洋に比べ、島の数が多いとは言えない大西洋。今回紹介するアソーレス諸島は、そんな北大西洋上にある島々です。こう書くと「絶海の孤島」のイメージを受けるでしょうが、実は欧米では大西洋横断のクルーズ船も停まる名の知られた観光地です。ただし日本からは遠いこともあり、日本では紹介もほとんどされていません。そんなこともあり私は、久々に前知識がない状態で旅行をしてみました。

北大西洋に浮かぶ9つの島々

ポルトガル領アソーレス諸島(英語ではアゾレス諸島)は、ポルトガルから西へ約1000km、北アメリカからは約3900kmの北大西洋上に浮かぶ9つの島々です。ここはユーラシアプレートと北アメリカプレートがぶつかる場所で、火山活動によりこれらの島々が生まれました。東西500kmほどの海域にある島々は、東部の3島、中部の4島、西部の2島のグループに大きく分かれます。

アソーレス諸島がポルトガル人によって発見されたのは1427年のこと。新大陸発見後は水の補給基地として、のちには捕鯨や遠洋漁業の基地として使われるようになりました。メキシコ湾流の影響で、冬でも平均気温が10度を下回ることは少ない温暖な気候です。火山島なので土壌は痩せて一般的な農業には向いていませんが、家畜の放牧やワイン造りが行われています。諸島全体の人口は約24万5000人です。

サンミゲル島の地熱帯。近くには温泉もある

諸島の中心となるサンミゲル島

私が訪れたのは9島のうちの4島です。まずは諸島東部にあるアソーレス諸島最大の島、サンミゲル島から紹介しましょう。ここにはアソーレス諸島の人口の半分強の約14万8000人が住んでいます。面積は約745平方キロメートルで、奄美大島より少し大きいくらい。最大の町は人口7万人のポンタ・デルガダです。国際空港もあり、クルーズ船も寄港する観光地ですが、私が訪れた10月はシーズンオフで、海沿いのプロムナードも人はまばらでした。

地熱で野菜やチョリソーなどを6時間かけて調理した料理「コシード・ダス・フルナス」

このサンミゲル島は今でも活発な火山活動を続けており、地熱帯がありました。硫黄の匂いが漂う地熱帯には温泉池がいくつもあり、日本の「〇〇地獄」のようです。ランチはそんな地熱帯の近くにあるリゾートホテル「テッラ・ノストラ・ガーデンホテルTerra Nostra Garden Hotel」で、名物の地熱料理「コシート・ダス・フルナス」をいただきました。「コシード」はポルトガルやスペインでは一般的な煮込み料理ですが、ここでは地熱を利用して調理したものが名物になっています。ホテルには温泉を利用したスパもあり、長期滞在する欧米人も多そうでした。

19世紀の街並みが残るテルセイラ島の町アングラ・ド・エロイズモは世界遺産

世界遺産の街並みがあるテルセイラ島

アソーレス諸島中部にあるテルセイラ島の人口は、諸島で2番目の約5万6000人です。ただし町と言えるのは、島の南にあるアングラ・ド・エロイズモと、東にあるプライア・ダ・ヴィクトリアの2つだけ。私が宿泊したアングラ・ド・エロイズモは、19世紀まではアソーレス諸島の中心でした。そのため町には16〜19世紀の教会や修道院などがありますが、1980年の地震で多くの建物が一度倒壊しています。しかしその後、住民の努力によって町は以前の姿に復興。現在、その景観はユネスコの世界遺産に登録されています。

牛の放牧が行われているテルセイラ島の丘陵地帯

町を観光した後、レンタカーで島の内側に向かうと、火山島らしく深さ100m以上ある石灰岩の洞窟がありました。また島の丘陵地の多くは牧草地で、牛が放牧されていました。途中の村を通った時のこと、フェスタ(お祭り)が開かれていました。テルセイラ島では村祭りで行う闘牛が有名です。ただし「闘牛」といっても、この島では通りに牛を放して傘でつついたりする程度で牛は殺しません。そして祭りがすめば牛は放牧地へ帰されるのです。のんびりとしたこの島では、そんな娯楽でも十分なのでしょう。

ピコ島では今も伝統的な方法でワイン用のブドウ栽培が行われており、その景観が世界遺産に登録されている

ワインづくりと捕鯨の島、ピコ島

アソーレス諸島で2番目に大きなピコ島はおたまじゃくしに似た形をしていますが、その頭に当たる部分にあるのが標高2351mのピコ山です。これはポルトガル最高峰で、島のどこからでもこの山が見えます。

島の主な産業はワイン造りですが、そのブドウ作りは溶岩を積み上げた囲いの中で栽培するというユニークなもの。そして手作業で収穫し、足踏みで果汁を絞り出すという伝統的な製法も続けられています。訪れてみるとブドウ畑は海岸沿いの平地に多く、きっと強い風を避けるため石垣で覆ったのでしょうね。このブドウ畑は、「ピコ島のブドウ畑文化の景観」として世界遺産に登録されています。

かつて捕鯨が盛んだったピコ島。後ろに見えるのは、ポルトガル最高峰のピコ山

またピコ島では、19世紀末から20世紀にかけて捕鯨業も盛んでした。しかし鯨油の需要が減った1980年代に、ピコ島の捕鯨は終わりを迎えます。ピコ島の捕鯨の様子は、島内の「捕鯨博物館」で知ることができます。鯨油を採る機械やそれを溜めたタンク、ボートなどの展示がありますが、私が強い印象を受けたのは港に曳航され、解体されるクジラの写真でした。その時には狭い湾が血に染まったのでしょう。それも今では、色褪せた写真の中の遠いできごとのようです。

ヨットの停泊地があるファイアル島のオルタ。ヨットハーバーには世界中から寄港した人たちが描いた絵が残されていた

大西洋横断のヨットが停泊するファイアル島

ピコ島のすぐ向かい、フェリーで渡れる距離にあるのが、ファイアル島です。人口は約1万5000人。私はアソーレス諸島最後の日を、この島唯一の町、オルタで過ごしました。町の港には大きなヨットハーバーがあり、大西洋を横断するヨットが停泊していました。ハーバーのコンクリートの壁には、国旗や鯨などの絵が描かれています。きっとヨットの持ち主たちが描いたのでしょう。そんなヨットマンが多いせいか、オルタの町の雰囲気はポルトガルというよりどこでもない無国籍な感じがしました。

港沿いのプロムナードには、ホエールウォッチングツアーの看板が並んでいました。かつては人間から命がけで逃げていたクジラも、今では観光客の好奇の目をひきつけているようです。ヨットは無理でも、クルーズ船で大西洋を渡って帰りたいところでしたが、私は翌朝、飛行機でポルトガルに戻りました。次のこの島に来るのは、いつになるだろうと思いながら。

 

スペインに住んでいる友人に遊びに誘われて、アソーレス諸島に行ったのは10月。オフシーズンで天気も今ひとつでしたが、その分、落ち着きを取り戻した島の日常を見ることができたと思います。大都市から遠く離れていますが、かといって不便な秘境でもない無国籍的な場所。「どこでもない=Nowhere」という言葉が合いそうな場所が、私のアソーレス諸島の印象です。いつか時間ができたら、そんな島々でゆっくり本でも書きたい。そんなことを考えています。それももしかしたら「一生モノ」の旅になるかもしれません。