Apr.16.2022

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フランスの穴場スポット!著名人が眠るパリの3大墓地 その1 ペール・ラシェーズ墓地

公園の中のように広いペール・ラシェーズ墓地

海外の墓地を訪ねるのが好きです。すでに亡くなった偉人たちの墓の前に立つと、その人の業績を思い出すだけでなく、ふだんは忘れている「死」についても考えてしまいます。パリ市街東部にあるペール・ラシェーズ墓地は、モンマルトル墓地、モンパルナス墓地と並ぶパリの3大墓地のひとつ。面積は3つの中で最も広く、ここに眠る著名人の数も多いので、訪れる観光客も少なくありません。今回はここにある、私が影響を受けた人々のお墓を紹介しましょう。お墓参りが旅の目的という旅も、あってもいいのではないでしょうか。

27歳で生涯を終えたジム・モリソン

ドアーズのボーカル、ジム・モリソンの墓

まずはロック好きな私としては、外せないのがドアーズのボーカリスト、ジム・モリソンの墓でした。墓石には本名のジェームズ・ダグラス・モリソンJames Douglas Morrisonで刻まれているので、お墓を探すときにはご注意ください。1943年生まれのモリソンは、1965年にロックバンド、ドアーズを結成。1967年に2枚目のシングル「ハートに火をつけて」が全米1位の大ヒット。以降、「ハロー・アイ・ラブ・ユー」といったヒット曲や、『まぼろしの世界』『太陽を待ちながら』といったアルバムを発表します。モリソンのカリスマ的なボーカルは、それまでのポピュラー音楽にはないものでした。しかし途中からモリソンのドラッグと大量の飲酒によるトラブルが問題になり、1970年にはライブ活動を停止。そして1971年7月3日、パリのアパートのバスタブの中でモリソンが死んでいるのを恋人が発見します。27歳の生涯でした。映画『地獄の黙示録』のオープニングに流れるドアーズの「ジ・エンド」で聴ける呪術的とも言えるモリソンのボーカルは、今でも私たちを別な世界に連れて行く力があります。

SF映画の父ジョルジュ・メリエス

映画監督ジョルジュ・メリエスの墓

映画好きの私にとっては、ジョルジュ・メリエスの墓に行かない訳にはいきません。メリエスは映画創成期においてさまざまな技術を開発した人物で、とくに特殊撮影では元祖と言っていいでしょう。ジュール・ヴェルヌやH.G.ウェルズのSFを翻案した1902年公開の『月世界旅行』は最初のSF映画と言われています。またメリエスは興行師としての一面もあり、劇場でイリュージョン(マジックショー)などを上演し、人気を博していました。しかし1910年代に入ると映画や興行の失敗が相次ぎ、破産。1920年代にはモンパルナス駅の売店で売り子をしていた時期もあります。1930年代には再評価を受けますが、貧困生活のまま1938年にガンにより亡くなります。マーティン・スコセッシ監督の2011年の名作『ヒューゴの不思議な発明』では、ベン・キングスレーがメリエスを演じていました。不遇の晩年を過ごしたメリエスですが、SF映画の父といっていいでしょう。

映画俳優兼歌手のイヴ・モンタン

イヴ・モンタンとシモーヌ・シニョレの墓

フランスを代表する映画俳優で歌手でもあるイヴ・モンタンの墓もここにあります。モンタンは1944年にシャンソン歌手のエディット・ピアフに見出され、翌年映画デビュー。1946年の主演映画『夜の門』で歌った主題歌「枯葉」が大ヒットします。その後、『恐怖の報酬』(1953)、『グラン・プリ』(1966)、『ギャルソン!』(1983)など、フランス映画にはなくてはならない俳優になります。モンタンは娯楽作に出演する一方、1960年代後半から硬派な社会派映画にも数多く出演していました。モンタンの墓には、女優で1953年に結婚した奥様のシモーヌ・シニョレも一緒に眠っています。

シャンソンの名歌手エディット・ピアフ

エディット・ピアフの墓

「ばら色の人生(ラ・ヴィアン・ローズ)」や「愛の讃歌」で知られる、フランスが生んだ偉大なる歌手エディット・ピアフの名前は聞いたことがあるでしょう。1915年生まれのピアフは、身長142cmという小柄な体から「小さなスズメ」という愛称でも呼ばれていました。日本では「愛の讃歌」は越路吹雪や美輪明宏の歌で知っている人もいるでしょう。またマリオン・コティヤールがピアフを演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』で、ピアフを知った方もいると思います。“恋多き女”としても知られるほか、上記のイヴ・モンタン、ジルベール・ベコーといった歌手のデビューにも力を貸しました。ピアフは1963年10月10日に47歳で亡くなります。墓地での葬儀には4万人もの人々が集まったといいます。歌を聴いたことがない方は、ぜひお聴きください。

19世紀末文学の旗手オスカー・ワイルド

オスカー・ワイルドの墓

ペール・ラシェーズ墓地の中でも多くの観光客が訪れるのがオスカー・ワイルドの墓です。ワイルドは19世紀のイギリスの作家で、結婚もして子供もいましたが男性も愛し、放蕩生活を送った上、梅毒による脳髄膜炎で1900年にパリで客死しました。日本では子供向けの童話『幸福な王子』の作者として知られていますが、本来はドロドロとした作品が主です。代表作は、唯一の長編『ドリアン・グレイの肖像』でしょう。悪徳を重ねる美青年ドリアン・グレイには秘密がありました。彼がいつまで若いのは、絵の中の肖像画が代わりに歳をとっていたからです。その怪奇な題材から、この作品は何度も映画や舞台になっています。また戯曲『サロメ』も何度も舞台化されています。預言者ヨハネに愛を拒絶されたサロメが、王にヨハネの首を所望。願いが叶うと、その生首に口づけをするという話です。日本で初めて『サロメ』を翻訳したのは森鴎外でした。私はこのワイルドの戯曲を下敷きにしたオペラを見たことがあり、そこからワイルドを意識し始めました。

モダンダンスの元祖イサドラ・ダンカン

簡素なイサドラ・ダンカンの墓

最後に、質素な墓を紹介しましょう。壁の中に埋め込まれた集合墓地の一画にあるイサドラ・ダンカンの墓です。ダンスに興味のない人は、彼女の名前は知らないかもしれません。ダンカンは20世紀初頭に人気を博した女性舞踊家です。古代ギリシャ風のチュニックを身にまとい、裸足で創作舞踊を踊ったことから「裸足のイサドラ」と呼ばれ、モダンダンスの創始者とも言われています。晩年は不遇で、1927年にニース近郊で車の車輪に首に巻いたスカーフが巻き込まれて亡くなりました。1968年には彼女の生涯がヴァネッサ・レッドグレーヴ主演で『裸足のイサドラ』として映画化され、話題を呼びました。激動の時代に慣習にとらわれることなく自由奔放に生きた彼女もまた、伝説の中の人物でしょう。

このペール・ラシェーズ墓地には、他にも画家のドラクロワ、ピサロ、モディリアーニ、コロー、スーラ、マリー・ローランサン、作曲家のビゼー、ショパン、ロッシーニ、作家のアポリネール、ドーデ、コレット、ラディゲ、詩人のラ・フォンティーヌ、女優のサラ・ベルナール、歌手のジルベール・ベコーなど、名だたる著名人が眠っています。墓地は700メートル四方あるので、お目当の墓がなかなか見つからないかもしれません。入り口の地図をよく見ていくといいでしょう(スマホで写真を撮るのもいいかも)。しかし時間をかけて探すのも、また“旅の時間”なのです。

 

大都会の中でも墓地は静かです。外の喧騒からほんの少し離れるだけで、静寂が漂う場所。ここは旅の浮ついた気分が一度リセットされ、クールダウンもできるところなのです。そんなひとときを過ごしたことも、あとから思い出すと“一生モノの旅”のひとつだったかと思うかもしれませんよ。墓地巡りの旅、おすすめです。

 

[DATA]

ペール・ラシェーズ墓地(https://pere-lachaise.com/en/)