Apr.18.2022
/ 一生モノ
ヨーロッパの中でアラブを感じさせる「グラナダのアルハンブラ宮殿」

スペインのグラナダには、世界遺産にも登録されているエキゾチックな宮殿「アルハンブラ」があります。私はこの宮殿を何度か訪れたことがありますが、いつ訪れても異なった表情がありました。“ヨーロッパの中のアラブ”を感じさせる場所。今回はアルハンブラ宮殿への歴史の旅です。そんな遠い過去との対話ができるのも、“一生モノの旅”かもしれませんよ。
イスラーム教徒最後の拠点・グラナダの陥落
スペイン南部のアンダルシア地方。対岸はもうアフリカで、スペインの中でも特に暑くて乾燥している地域です。私たちが「スペイン」と聞いてイメージが浮かぶフラメンコや闘牛も、実はこのアンダルシア地方が発祥の地なのです。
このアンダルシア地方にあるグラナダは、8世紀のアラブ軍の占領から15世紀末のキリスト教徒の軍による陥落までの約780年間、イスラーム教徒の王のもとに統治されていました。これは現在に続くその後のキリスト教徒の時代よりも長いのですよね。イベリア半島最後のイスラーム王朝となったナスル朝(グラナダ王国)が、カスティーリャとアラゴンの連合王国(後のスペイン)の前に降伏したのは1492年のこと。これにより長年続いた国土回復運動(レコンキスタ)が終了します。またこの年は、コロンブスが新大陸に到達した年でもありました。以降、スペインは大帝国を築いていくのです。
グラナダの町を見下ろすアルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿はイスラーム教のナスル朝の宮殿です。13世紀、ナスル朝初代の王ムハンマド1世は、グラナダ市街を見下ろすこの丘に宮殿を建設し始めます。その後、貿易などによって得た富をそそぎ込み、増築や改修が繰り返されました。現在の宮殿の建物は、14世紀のナスル朝全盛期のユースフ1世との息子のムハンマド5世の時代のものが多いようです。グラナダ陥落後もこの宮殿は破壊されず、スペイン国王の所有物となりました。
城壁内の敷地にはこの宮殿以外にも、城塞のアルカサバ、スペイン時代に建てられたカルロス5世宮殿、バルタル庭園、パラドール(宮殿ホテル)などがあります。また隣の丘には、夏の離宮のヘネラリフェがあります。ただし観光の目玉になるのは、やはりイスラーム美術のすばらしさを堪能できるナスル朝の宮殿です。これはひとつの大きな宮殿のように見えますが、実際はつながった3つの建物から成っています。
宮殿の応接エリアとなるメスアール宮とコマレス宮

宮殿の入り口となるのが、宮殿でもっとも古い部分の「メスアール宮」です。ここは接見や応接に使われていたエリアで、入ってすぐの「メスアールの間」もそのような場所でした。そこを抜けると「メスアールのパティオ(中庭)」に出ます。宮殿の3つの建物は、パティオを中心にその周りを建物が取り囲むという共通の造りです。このパティオから先は、王族のプライベートな空間になっていました。

建物を通り抜け次に進むと、「アラヤネスのパティオ」を中心とした「コマレス宮」に出ます。アルハンブラ宮殿の紹介でよく見る「池に塔が映っている写真」は、ここで撮られたものですね。その塔の下にあるのが、王が外国の使節と謁見した「大使の間」です。ナスル朝最後の王ボアブディルもグラナダを明け渡す際、ここでカトリック両王の使節に会ったといいます。そんな姿を想像しながら見学してみましょう。塔の内側は高い天井空間になっており、その見事な寄木細工は必見です。
ライオンのパティオとライオン宮

ナスル朝の宮殿のハイライトとなるのが、一番奥の「ライオン宮」です。 これは王とその家族が住むプライベートな空間で、中庭の「ライオンのパティオ」を囲んで部屋が並んでいます。パティオの中央にある「ライオンの噴水」から四方に延びた水路が各部屋に続いており、グラナダの夏の暑さを和らげています。現在はこのパティオには大理石が敷かれていますが、ナスル朝時代には花が咲き乱れていたといいます。確かに今の姿は、住むには殺風景ですね。
パティオの南側にある「アベンセラスの間」には、血なまぐさい伝説が残っています。アベンセラス家は王宮で政治力を持つ一族でした。その一族のある男性が王の愛妾と通じたとして、ここで一族36人が殺されたというのです。もっともこれはこの部屋の水盤に血の痕のような赤サビがあることから、後付けで作られた話かもしれません。東側の「諸王の間」は、天井にナスル朝の10人の国王の肖像画が描かれていたことからついた名前で、王の寝室を含むいくつかの小部屋に分かれています。
二姉妹の間とアーヴィングの小部屋

パティオを挟み、アベンセラスの間の反対側にあるのが「二姉妹の間」です。宮殿でもっとも天井の鍾乳石飾りが素晴らしい部屋で、その装飾の精密さには息を呑むでしょう。ここはハーレムの一部で王妃が住んでいたと言われます。この部屋の奥にあるバルコニーは、ハーレムから出られない女性たちが、息抜きに下の「リンダラハのパティオ」を眺められるように造ったものとか。
この緑多いリンダラハのパティオに面して、「アーヴィングの小部屋」と名付けられた部屋があります。アメリカ人作家のワシントン・アーヴィングは、歴史書や地方の伝説をもとした小説などで知られますが、スペイン語も堪能で、アメリカ公使の書記官としてスペインに赴任したこともありました。その時、当時荒廃していたこの宮殿に滞在し、のちに紀行文・伝説集の「アルハンブラ物語」を発表します。これによりアルハンブラ宮殿は、世界的に一躍有名になるのです。
今では整備された公園のようなアルハンブラですが、ナスル朝時代には住居やモスク、市場などが敷地内にあり、2000人あまりが住む小さな町のようでした。アーヴィングのように夜の宮殿内をひとり歩くわけにはいきませんが、きっとまたスペインを訪れたら、私はまたアルハンブラを訪れるでしょう。そしてそっと、過ぎ去った歴史に耳を傾けてみるでしょう。
数百年前の姿を今もなお残すアルハンブラ宮殿。かつてスペインがイスラーム世界の一部だったことに気づかせてくれる場所です。宮殿の中を歩いている間、かつてここに住み、去らねばならなかった人々の気持ちを想像しました。庭園や建物を見ていると、そんな遠い過去のことが浮かんできます。そうした歴史との対話も、“一生モノの旅” でしょう。
[ DATA ]
アルハンブラ宮殿
[URL] www.alhambra-patronato.es/
[アクセス] グラナダのヌエバ広場から徒歩20分
[開場時間] (4/1~10/14)8:30~20:00、(10/15~3/31)8:30~18:00
※夜間開場もあり。要チェック。繁忙期の入場チケットは要予約