Apr.25.2022

/ 一生モノ

歴史好きの海外旅行 エーゲ海に浮かぶクレタ島への歴史と神話の旅

イラクリオンへ向かう船。エーゲ海の各島間を定期船が就航している

私が世界各地を旅行していてうれしいのは、世界史の教科書で学んだ場所に実際に行けることです。私は古代史好きだったので、ギリシャへの旅はとてもワクワクしたものでした。それに子供の頃からギリシャ神話に親しみもありました。なかでも印象深い神話に、牛頭人身の怪物ミノタウロスと迷宮ラビリンスの話があります。今回紹介するのは、その神話の舞台となったクレタ島への旅です。実際のクノッソス宮殿に立つとは、子供時代の私は夢にも思わなかったことでしょう。

クノッソス宮殿跡。これは後世の復元部分だが、当時の様子が想像できる

クレタ島の中心都市イラクリオン

クレタ島は東地中海に浮かぶ東西約200kmの細長い軍艦のような形をした島で、面積は日本の兵庫県ぐらい。エーゲ海最大の島です。アテネから島づたいにエーゲ海を南下していた私は、サントリーニ島から船に乗り、クレタ島のイラクリオンに到着しました。イラクリオンはクレタ島最大の都市で、人口約18万人。小さな町を想像していましたが、船から見える街並みは意外にも近代的でした。ここに来た一番の目的は、もちろんクノッソスの宮殿跡を見るためです。ただし訪問は翌日にし、その日はイラクリオンの街を歩いてみました。

イラクリオンの町を築いたのは、9世紀にクレタ島に侵入したアラブ人たちです。その後、13世紀初頭にヴェネチア共和国が占領して現在も残る城塞を築き、地中海交易の拠点としました。17世紀には力をのばしていたオスマン帝国の領土となりますが、20世紀にギリシャの一部として独立を果たします。

イラクリオンの旧港にあるヴェネチア時代の要塞

町は新市街と旧市街に分かれていますが、私は見どころが多い旧市街に宿を取り、町を散策しました。旧市街にある旧港に立つと、向かいに16世紀に建てられたヴェネチア時代の要塞が見えます。その後、街中を歩くと、クレタ島で最大の教会という聖ミナス大聖堂に出ました。建てられたのは19世紀のオスマン帝国時代です。ギリシャはキリスト教でも西欧とは異なるギリシャ正教会の国。建物や中の雰囲気も西欧とは異なります。たとえばギリシャ正教会では三次元の聖像は禁止されているため、ここでも二次元のイコン画が祭壇に飾られていました。

イラクリオン旧市街にある聖ミナス大聖堂

ギリシャ神話の中の迷宮(ラビリンス)

まずはギリシャ神話に登場するクノッソスを紹介しましょう。ギリシャの主神ゼウスとテュロス王の娘エウロペ(ヨーロッパの語源はここから)の間に生まれたミノスは、成長してクレタ島の王になりました。その時、ミノスは王位継承の証として生贄となる牡牛が必要になり、海神ポセイドンにその牡牛を願います。ポセイドンはそれに応じて海から牡牛を送りますが、牡牛があまりにも美しかったため、ミノスは別の牡牛を生贄に捧げてしまいました。怒ったポセイドンは、罰としてミノスの妻パシパエが牡牛に欲情を抱くようにします。その結果、パシパエと牡牛の間に牛頭人身の怪物ミノタウロスが誕生するのです。困ったミノス王は名工ダイダロスに命じ、入ったら出られない迷宮ラビリンスを造らせ、そこにミノタウロスを閉じ込めました。

時が流れ、ミノス王との戦いに負けた都市アテネは、数年ごとに少年少女7人ずつをミノタウロスへの生贄として貢いでいました。その何回目かのグループに入っていたのが、英雄テセウスです。ミノス王の娘アリアドネはテセウスに一目惚れし、彼を助けようとダイダロスから脱出方法を聞き出します。そしてアリアドネはテセウスに短剣と魔法の糸の片方を渡し、自分はもう片方を持ちました。迷宮に入ったテセウスはミノタウロスを短剣で倒し、糸を手繰りながら出口に無事戻ります。これがクノッソスの迷宮の神話です。その後の登場人物たちの運命も面白いので、この先はギリシャ神話をぜひ読んでくださいね。

ヨーロッパ最古の文明と言われるミノア文明

さて今度は神話ではなく、「ヨーロッパ最古の文明」とも言われる歴史上の「ミノア文明」についてです。文明の名前は、先に紹介した神話の「ミノス王」から名付けられました。この文明がクレタ島に栄えたのは、紀元前2000年ごろから紀元前1400年ごろのこと。エーゲ海の他の島だけでなく、エジプトやフェニキアなどの遠方とも海洋交易を行っていたクレタ島の諸都市の中でも、最大のものがクノッソスでした。この宮殿には城壁がなく、侵略をほとんど受けることがない平和な時代が続いていたといわれています。ただし強大な海軍は持っていたようです。宮殿には巨大な貯蔵庫があり、各地からの物資を再分配していました。文字は線文字Aが使われていましたが、この文字はいまだ未解読なので詳しいことはわかっていません。

繁栄したミノア文明ですが、前15世紀頃に突然崩壊します。原因は大地震や自然破壊の影響など諸説ありますが、はっきりしていません。ギリシャ本土のミケーネ人が侵入したのかもしれません。前1375年頃、クノッソス宮殿は焼失し、ミノア文明は滅びます。

高台にあるクノッソス宮殿跡

クノッソス宮殿に立つ

イラクリオンからバスで約30分、私はクノッソス宮殿の遺跡に到着しました。宮殿の大きさは一辺約160m。宮殿は神話の「迷宮」を連想するように1200とも言われる部屋が並び、高い部分は4階建てだったそうです。しかしクノッソス宮殿は前述したように大火災で焼失したので、残っているのはほとんどが土台の部分だけ。なので想像力を働かせても、なかなか当時の姿をイメージすることは難しいです。また修復が少々イージーで、再現されて着色された柱などはコンクリート製でした(当時はたぶん木材だった)。遺跡にある壁画もすべてレプリカで、本物はイラクリオンにある考古学博物館にあります。なので、そちらを先に見てから遺跡を訪れるのもいいでしょうね。

宮殿にあったフレスコ画には、のちの古代ギリシャのような武力を誇示する男臭いものはありません。「パリジェンヌ」と名付けられたカールした髪型の女性や、のびやかな「牛の上のアクロバット」など、明るく華やかな表現のものが多いです。

クノッソス宮殿を見学する人々。遺跡にある壁画はすべてレプリカで、本物はイラクリオンの考古学博物館にある

クノッソス宮殿には多くの観光客が来ていました。みな神話のラビリンスを想像していたのでしょうか。セミが鳴くギリシャの初夏、私は遺跡に立ち、3500年前にここに生きた人々の姿をしばし夢想しました。

ギリシャ神話の中のクノッソスの宮殿は、ミノタウロスの恐ろしい姿もあり、どこかおどろおどろしい印象がありますが、実際のクノッソスはその逆で陽性の雰囲気を感じました。神話とは異なり、実際には専制君主的な王もいなかったようです。そもそもミノア文明は、神話が作られた時代よりも1000年あまり古い時代の文明だったので、神話とは別物だったのでしょう。そんなことを本やネットの中の知識でなく、現地に立って肌で体験できるのも“一生モノ”の旅ですね。