May.04.2022
/ 一生モノ
まるで冒険映画の世界 インドの幻想的な「生きた橋」

インド最東端の山の中に、少数民族が生きた木の気根を編んで作った橋が点在します。橋は何百年も生き続け、緑の風景に溶け込み神秘的な姿を見せています。このような橋がなぜ作られたのでしょうか。
ちょっと行きにくい場所、あまり知られていない場所を訪れ、そこにしかない何かに出会えたら、ありきたりな場所へ行くよりも、旅の満足度は何倍にもなります。私が訪れたインドの辺境地帯が、ちょうどそんな場所でした。インドの定番とは異なる風景や食べ物、人々に出会い、毎日がわくわくする発見の日々。なかでも特殊な気候が生み出した「生きた橋」を目の当たりにできたことは、その旅のハイライトともいえるものでした。
インドのなかでも特殊な地域
「生きた橋」があるのは、インドでも最も北東に位置するエリア。最狭部32kmの細長い通路のような土地でインド本土と結ばれて、バングラデシュをまたぐように延びている部分です。7つの州から成るため、この地は「7姉妹州」と呼ばれています。

この地域はモンゴロイド系を含む多くの少数民族が暮らす、民族の宝庫。本土とは隔絶されたロケーションと、独特な自然環境、そして普通のインドとは全く異なる東アジア的な文化もあります。かつては入域制限も多い情報の少ないエリアでしたが、2010年あたりから許可なしでも入れる州が増え、外国人旅行者も訪れやすくなりました。行くなら今がチャンスかもしれません。
州都シロンから「生きた橋」を目指す
7姉妹州の玄関口といえるのが、国際空港を備えたアッサム州のグワハティ。「生きた橋」があるメガラヤ州の州都シロンは、そこから南に約100kmの場所にあります。私はシロンの観光案内所などで情報を集め、大きな荷物を宿に置き、1泊2日で「生きた橋」を目指すことにしました。

シロンのバラ・バザール(マーケット)から出ている「チェラプンジ(ソーラ)」行きスモをなんとか見つけて乗り込みます。「スモ」はローカル向けの乗り合いバンのこと。3列の席にそれぞれ4人ずつ乗ったぎゅうぎゅうの状態で、ひたすら南西へ向かいます。
周囲は木が少ない荒涼とした風景で、本当にジャングルの中にあるという「生きた橋」に向かっているのだろうかと不安になります。

1時間半ほどでチェラプンジの町に着くと、週に一度のマーケットが開かれていました。ローカル感あふれる雰囲気があまりにも面白く、写真を撮りながらぐるぐると歩き続けました。
農作物や肉、果物などを売買しているのは、メガラヤ州の主要民族であるカーシ族。現在も母系制を保持し、豚肉をよく食べるなど、インド本土にはない特有の文化をもちます。
ただひたすら谷を下って最初の「生きた橋」へ
チェラプンジの町で、さらに先に向かうスモを探し当てて乗り込み、ティルナ村への分岐で下車しました。辺りにはいつの間にか緑の風景が広がっていました。ティルナ村から徒歩でしか行けない場所にノングリアート村があり、「生きた橋」はその周辺にあるようです。
ティルナ村を過ぎると長い長い下り階段が続きます。段差が小さいコンクリートの階段を下ること30分で谷底に到着。徒歩5分ほどの川辺に、立派な「生きた橋」が架かっていました。

「生きた橋」は、インドゴムノキから垂れ下がる気根を竹などにからませ誘導し、長い年月をかけてそれが成長したときにやっと完成する橋です。
最初に目にしたこの構造物も、成長した木の根がしっかりと結び合い、立派な橋を形作っていました。辺りに人は一人もおらず、豊かな緑のなかでひっそりと息づく「生きた橋」。そこには自然の一部でありながらも、人の手が加わった不思議な存在感があり、その美しさ、珍しさは強く印象に残りました。
さらに奥のノングリアート村に宿泊
「長い木の根橋」があった場所から、ノングリアート村へまでは徒歩30~40分。この村にはゲストハウスがあり宿泊もできますが、頑張ればシロンから日帰りも可能でしょう。細いヤシの木がたくさん生えた、徒歩でしか行けないとてものどかな村です。
ノングリアート村の近くには、「ダブルデッカー」と呼ばれる2重の「生きた橋」が架かっていました。この辺りには大小8ヵ所の「生きた橋」がありますが、これはとくに有名な橋です。恐らく下の橋が必要を満たさなくなったので、新しい橋を上に架けることにしたのでしょう。

「生きた橋」が生み出された背景
ところで、チェラプンジという名前が出たところで気づいた人もいるかもしれませんが、この地域は世界屈指の多雨地帯として知られています(チェブランジは年間降水量世界一を記録したことがあります。東京の約8倍)。橋がある場所はすべて、5月中旬~9月のモンスーンの季節には、激しく水が流れる河川となるのです。
雨が多い山岳部では、奔流に架けられた木の橋は、流されたり腐ったりしてすぐに使えなくなってしまいます。生きたインドゴムノキの気根は、恐らくそんな環境に耐えられる唯一の伝統的な建材だったのでしょう。メルヘンチックにも思える「生きた橋」は、実は特殊な気候の地域で暮らす人々の知恵と、自然の力が生み出したものだったのです。
現地で行き方を調べ、手探りで訪れたノングリアート村。交通手段がなかなか見つからなかったり、思ったよりも時間がかかったりなど、予測できないことが多くありました。でも、それだからこそ、目的地に行けたうれしさや、予想外のものに出会えた喜びは大きかったです。これらの橋を、ほとんど人がいない場所で眺めることができたのも、特別な体験となりました。
まだ秘境感がたっぷり残るノングリアート村と、その周辺に散らばる「生きた橋」。訪れてみれば、あなたにとっても“一生モノの旅”となるに違いありません。