May.14.2022
/ 一生モノ
おとぎの国のようなアートな村 台湾の原住民が暮らす秘境・霧台へ

日本から近くておいしいものがいっぱいで、気軽に訪れることのできる国、台湾。けれども、そんな“国内旅行感覚”で行けそうな台湾でも、一生忘れられないようなドラマは起こります。私にとって台湾が一生モノの旅の舞台となったきっかけは、台湾原住民の住む山奥の村に行こうとした2013年から始まります。友人が「霧台(むだい/ウータイ)」へ旅した写真を見せてくれたときからです。
台湾に今も暮らす「原住民」を知っていますか?
台湾の「原住民」とは、中国本土から漢民族が入ってくる以前からここに生活していた人々のことを指します。台湾では「もともとここにいた」ことを表す、誇り高い呼称なのです。南部、とくに山地には原住民が多く暮らしています。この原住民のうちのひとつ「ルカイ族」の多くは、霧台に住んでいます。写真で見た霧台は、まるでおとぎの国のようでした。教会や学校、ガードレールや塀、個人の家にいたるまで、所狭しと装飾を施すのです。それらは子供のように自由で伸びやか、それでいてルカイ族の伝統をきっちり守った、他のどこにも見ることのできないアートでした。私は、ルカイ族の芸術性にひとめ惚れしてしまったのです!

無謀にも、女性のひとり旅でアタックしたものの……
霧台は山奥の秘境です。しかも2013年当時には、崖崩れのために路線バスが長期運休でした。そこで屏東から1時間ほど山に入った三地門まで行き、ここでヒッチハイクを試みましたが、現地の人々は「女性ひとりでは危ない」と口をそろえて引き止めます。やがて、誰かが日本語を話せるおばあさんを連れてきてくれました。台湾では、第二次世界大戦以前の日本統治時代に日本語教育を行っていたので、今でも日本語を話せるお年寄りがいます。そのおばあさんからも「危ないから」と(日本語で!)言われ、私はその時とうとう霧台行きを断念したのでした。

子供が先に目的達成。うれしいやら悔しいやら
その後、2015年には道路の修復が済み、ついにバスがまた通るようになりました。「いつかまた霧台にチャレンジしたいな……」そう思っていた矢先、大学生の娘が私の霧台行き断念の話を聞いておもしろがり、ひとりで行ってきたのです! 海外にひとりで行くのが初めての娘でしたが、台湾の人たちの熱い親切に助けられて、難なくルカイ族の村をまわれたようです。その土産話の中に、「日本語を話せるおじいさんのいる家に上がった」というものがありました。あのおばあさんが私の頭をよぎりました。三地門よりさらにずっと山奥の霧台にも、まだ日本語を話す年配の人が生きているのか……。

私が感慨にふけっていると、話を聞いた息子が「オレも行くぞー!」と、娘とルカイのご家族が写った写真を大きくプリントして、さっさと霧台へ行ってきたのです。名前も住所も知らないのに! けれども、息子によれば、とにかく写真を現地の人たちに見せて歩いていたら、すんなり見つかったそうです。さすが山奥の村。そして「この子の兄です」と記念写真をお土産に渡してきたとか。ふたりの子供のフットワークの軽さが痛快でうらやましくもあり、こうなったら私も「今度こそ」と決心しました。
憧れの霧台に到着! ひととおり観光してから、いよいよ人探しへ
路線バスが復活した今では、霧台はそこまでアクセスが困難な場所ではなくなりました。しかし台湾の都市部と有名観光地だけしか行かない多くの日本人旅行者にとっては、心理的に遠いのですよね。きちんと計画しておけば半日で行ってこられますよ。何年も憧れ続けた霧台は、写真で見たとおり、おとぎの国のような装飾に囲まれた村でした。私は夢中で歩き回り、写真を撮り、イノシシ肉や愛玉ゼリーなど名物のグルメを食べ歩きました。

村の人はその大多数がルカイ族です。これも村の名産品であるコーヒーの出店で、娘の撮ったおじいさんの家族の写真を見せてみました。すると「うーん、この家族は、坂を下ったところにある家じゃないかしら。」と教えてくれました。実は言葉は一言も通じないのですが、一生懸命聞けば、なんとなく理解できるものです。言われた通りに坂道を下りましたが、メインの観光ルートを外れると、いきなり人の姿がなくなってしまいます。心細くなってきたころ、土地の人らしい男性に会ったので写真を見せつつ困っているジェスチャーをすると、「この先まっすぐのところにある家だよ」というジェスチャーで教えてくれました。

写真1枚を頼りに、本当に探し当てることができたのです
しばらく歩くと、あっ、写真と同じ家がありました! とうとう、やってきました。しかし勢いでここまで来たものの、来られる側からしたらなんと思うでしょうか? 数ヶ月おきに日本人の家族がひとりずつやってきては、名前も告げず去っていくのですから。我に返ってもじもじしているうちに、中から奥さんが出てきました。どうせ言葉はぜんぜん通じないので、もごもごと自己紹介しながらすばやく娘が撮ったご家族の写真を取り出します。奥さんは我が意を得たりという顔になり、日本語を話せるおじいさんを連れてきてくれました。
現れたおじいさんは、もしかしたら、娘と息子のことをすでに忘れていたのかもしれません。それとも、次々やってきた日本人親子をいぶかしがるには、すでに歳をとりすぎているのかもしれません。私が誰なのかにかまうこともなく、彼は完璧な日本語で穏やかに話しかけてくれました。日本人と変わらない容貌もあいまって、いつしか最初の緊張と高揚感は消え、代わりにここが日本のどこかの田舎のような気分に……。ぽかぽかした陽射しの中、おじいさんと並んで山あいの景色を眺めたのは、忘れることのできないひとときになりました。

実現するまでに何年もかかった、台湾の中の秘境行き。山奥で聞いた日本語の響きを思い出すだけで、胸がいっぱいになります。流れていく歴史のひとつの地点に、確かに自分が立っていた、と実感しました。年若い子供たちにとっては、さらに貴重な体験だったはずです。また私にとっては、自分より先にさっさと憧れの地に行ってきた子供たちの成長を見て、なんとも感慨深い気持ちになったのです。“一生モノの旅”は、何も遠い国や地域へ行くことだけではありません。場合によっては、そんな日本からすぐ近くの国でも得ることができるのです。
[DATA]
霧台へは、屏東からのアクセスが一般的。屏東駅北口を出て「屏東客運バスターミナル」から出るバスに乗る。
時刻は、屏東〜霧台7:45、9:30、14:30 霧台〜屏東11:30、16:30(2018年現在)。
車内で「入山申請書」に氏名、住所、電話番号、旅券番号などを記入する。パスポートを持参する方がよい。