Mar.31.2022
/ 一生モノ
ボブ・ディランの面影を求めて ニューヨークのグリニッジ・ビレッジ音楽巡礼

ボブ・ディランが好きです。洋楽を聴き始めた十代の頃に出会い、途中で何度か聴かない時期もありましたが、いまだに一番好きな音楽アーティストです。50枚以上ある公式アルバムはすべて持っていますし、来日する度に彼のライブに行ってます。そんなファンの私が、ずいぶんと久しぶりにニューヨークへ行くことになりしまた。となれば、ニューヨークでデビューしたと言っていいボブ・ディランゆかりの地へ行かないわけにはいきません。誰にとってもすばらしい場所ではないかもしれませんが、自分にとっては、それは“一生モノ”の音楽巡礼なのです。
ボブ・ディランのキャリアはニューヨークから始まった
ビートルズと並ぶ、20世紀ポピュラーミュージックの巨人ボブ・ディラン。2018年のFUJI ROCKのヘッドライナーとして来日したことも記憶に新しいでしょう。代表曲としては「ライク・ア・ローリングストーン」「風に吹かれて」が有名ですが、他にも「天国の扉」「いつまでも若く」「時代は変わる」などが知られています。
ディランが故郷のミネソタからニューヨークに出てきたのは1961年の冬のこと。当時のグリニッジ・ビレッジは、アメリカで最も自由な雰囲気が漂う場所でした。コーヒーハウスでは、ギター1本で歌を歌うフォークシンガーが、伝承歌や社会情勢などを歌っていました。20歳の若きディランはそうした店でギターを弾いて歌い、1962年3月、アルバム『ボブ・ディラン』でデビューします。しかしディランが注目を浴びるのは、1963年5月に発表したセカンドアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』と、それに含まれていた「風に吹かれて」がピーター、ポール&マリーのカバーでヒットしたことからでしょう。

ディランゆかりの地・マクドーガルストリート
現在のグリニッジ・ビレッジはレストランやバーなどがある観光地となっていますが、いまだ当時の面影が残っている場所もあります。ディランがよく演奏していたマクドーガルストリートのコーヒーハウス「ガスライトGaslight Cafe」(116 Macdougal Street)は、いまはもう無くなってしまいましたが、その斜め向かいの「カフェ・ホワッ? Cafe Wha ?」(115 Macdougal Street)は今も営業していました。デビュー前のブルース・スプリングスティーンも演奏したことがある店です。ガスライトはディランが行った1962年10月のライブが『Live at The Gaslight』としてのちに発売されています。

同じ並びにある緑色の外装の「カフェ・レッジオ Cafe Reggio」(119 Macdougal Street)は、若きディランがよく通っていた老舗のカフェです。どのテーブルに座って歌詞を書いていたのかなあと想像しながら、カプチーノを飲んでみました。この店はアメリカで初めてカプチーノを紹介した店でもあります。クラシックな店内は時が止まっているようで、1961年頃のグリニッジ・ビレッジが舞台となる『インサイド・ルーウィン・デイビス 名もなき男の歌』などの映画のロケにも使われています。

かつてディランが住んでいた家もここに
マクドーガルストリートを南西に進み、ブリーカーストリートBleecker Streetを越したあたりには、1969年からディランがしばらく住んでいた建物(94 Macdougal Street)があります。1966年のオートバイ事故以来、ニューヨーク郊外のウッドストックで家族とともに隠遁生活を送っていたディランですが、この年、家族を連れてなぜかこんな繁華街に引っ越してきてしまいます。当時のディランは超有名人でしたので、当然ながらファンが路上にたむろしました。今でいう“追っかけ”が家の前で勝手に誕生パーティを開いたり、ごみ箱をあさって歌詞の断片を探したりするようになります。嫌気がさしたディランは1975年頃にはカリフォルニアへ引っ越してしまい、彼のニューヨーク時代は終わりを迎えました。
この家に住んでいた時期は、ディランのアルバムで言えば名盤の『血の轍』や『欲望』が生まれた頃。それらのアルバムはニューヨークのスタジオで録音されていますから、当時、ディランがこの辺りを歩いていたのかと夢想しながら、私は町歩きをしました。

ブリーカーストリートとディランゆかりのホテル
さて、マクドーガルストリートと交差するブリーカーストリートには、当時は多くのライブハウスがありました。数多くのジャズの名盤が録音された「ビレッジゲートVillage Gate」(1994年閉店、158 Bleecker Street)にはディランは出演していませんが、このビルに住む友人の部屋で代表曲のひとつ「はげしい雨が降る」を書き上げたと言われています。
この通りにはもうひとつ有名なライブハウスがあります。「ビターエンドBitter End」(147 Bleecker Street)は、ジェームズ・テイラーやジョニ・ミッチェルなど数々のポピュラーミュージックの巨人たちが演奏した場所です。ただし駆け出しの頃のディランにとっては敷居の高い店で、通常のライブではなく、飛び入りOKのオープンマイクに出演していたとか。この店で有名なのは、ダニー・ハサウェイの1972年の名盤『ライヴ』のB面がここで録音されたことでしょう。
私が初めてニューヨークに行ったのはまだ学生時代の1984年の冬でした。その時に泊まったホテルが「ワシントン・スクエア・ホテルWashington Square Hotel」(167 Waverly Place)です。しかしその時は、そこがディランが1961年に初めてプロとしてガーティス・フォークシティに出演するために泊まったホテルとは知りませんでした(当時の名はHotel Earle)。その部屋は305号室だそうです。また、ディランと恋仲になったジョーン・バエズと滞在していたのもこのホテル。次にニューヨークに行った時には忘れずに泊まってみたいと思っています。

あの名盤のジャケット撮影が行われた場所
ディランがよく出演し、1962年4月16日に「風に吹かれて」を初披露したというWest 4th Streetにあったガーティス・フォークシティは、今はもう無くなっています。この通りには1963年当時の恋人のスーズ・ロトロの部屋(161 West 4th Street)もあり、一緒に住んでいた時期もありました。ディラン詣でのクライマックスは、前述のブリーカーストリートとそのWest 4th Streetに挟まれた狭いジョンズストリートJones Streetです。ここは「風に吹かれて」や「くよくよするなよ」「はげしい雨が降る」などの名曲を収めた1963年の名盤『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のジャケットが撮影された場所です。当時の恋人であるスーズ・ロトロと腕を組んで歩いてくる22歳のディランがそこに写っています。スーズの部屋からは徒歩3分程度。撮影は1963年2月でアルバム発売は5月でした。まさかその時は、彼女との別れが来るとはディランも思ってもいなかったでしょう。ふたりは8月には別居し、翌年には別れてしまいます。ここはディランファンにとっては、ビートルズファンがアビーロードスタジオ前で記念撮影をするのと同じぐらい重要な場所です。映画『バニラ・スカイ』では、トム・クルーズがペネロペ・クルスとジャケットそっくりの格好をして歩いていましたね。私ももちろん撮影に挑みましたが、季節も違うし一眼レフもなかったので、なんとも平凡な出来栄えに終わり残念でした。それでも感無量でした。
1975年ごろディランはグリニッジ・ビレッジからカリフォルニアのマリブの邸宅に引っ越します。引っ越しの理由のひとつに、妻サラとの離婚もありました。ディランのニューヨーク時代はこうして終わりますが、ディランが輝いていた場所がニューヨークです。名曲や名盤の数々はこの町で生まれました。そんなことを思いながらしたグリニッジ・ビレッジのディラン巡礼の旅。自分にっては、貴重な旅の体験です。
[ DATA ]
カフェ・ホワッ?公式ページ( http://cafewha.com/ )
Caffe Reggio 住:119 Macdougal Street, New York 営:9:00~翌3時(金・土は翌4時)
ビターエンド公式ページ( http://www.bitterend.com/ )
ワシントン・スクエア・ホテル
( https://washingtonsquarehotel.com/51-years-ago-happened/ )