Apr.05.2022
/ 一生モノ
シルクロードの大砂丘にたたずみ 沈む夕陽を見る中国・敦煌

私が子供の頃、日本は空前のシルクロードブームで、子供ながらもいつか砂漠の大砂丘を見てみたいと思っていました。30代に入り中国のシルクロードに行き、生まれて初めて砂丘を目にしたときの感動は忘れられません。日本では見られない風景がそこにはありました。今回は私が初めて出会ったその大砂丘、敦煌の鳴沙山を紹介します。

シルクロード交易で栄えた町・敦煌
古代、中国の王朝の都は現在の西安(長安)や洛陽などの黄河流域にありました。「シルクロード」とは、そこから「西域」と呼ばれる現在の新疆ウイグル自治区や中央アジアを通り、ローマまで続く交易路のことです。当時の中国と西域の境界線が敦煌の町で、そこから先は漢民族ではない異民族が住むエリアでした。敦煌が栄えたのは、シルクロード交易が盛んになった漢の武帝の時代(前2世紀)からモンゴル帝国時代(13世紀)までのこと。しかしその後、交易路が海上ルートに移り、町は次第に寂れていったのです。

砂の砂漠は、実はレア?
「砂漠(沙漠)」というと、ラクダの隊商が行くような砂丘をイメージするでしょう。私もそうでした。しかし世界にある砂漠の大半は、砂ではなく石や土からなる「岩石沙漠」や「土漠」で、ところどころには草も生えています。表面が砂の砂漠は、そうした沙漠の中でも特に風によって砂が吹き溜まった場所なのです。中国のシルクロードを代表するタクラマカン砂漠でも、砂丘がある砂漠はごく一部。絵に描いたような美しい砂漠は、私が見た中ではここ敦煌の鳴沙山とピチャンの沙山公園ぐらいでした。
砂丘に行くなら、おすすめは夕刻です。夏の日中は暑くて観光どころではないし、真昼だと影が出ず砂丘が平板に見えてしまいます。太陽の光が斜めにさす夕刻なら、砂丘が作る複雑な曲線に影がくっきりとつき、素晴らしい眺めになるでしょう。
大砂丘が目の前に近づいてくる
鳴沙山は、東西40km、南北20kmという砂漠の端に位置する砂丘です。名前の由来は、砂粒が風で擦れあって音を立てることから。私が初めて行った1990年代はまだ、ひなびた観光名所程度の趣でした。ところが2000年代に再訪した時には観光化が進み、砂丘の頂上まで有料梯子ができていました。ここ10年はさらにテーマパーク化しており、今ではバギーやカートも走っての大観光地になってしまったそうです。
町から鳴沙山まではバスがありますが、わずか5kmほどなので私はレンタサイクルで行きました。そうすると、目の前に近づいてくる砂丘をゆっくり感じることができるんですよね。大砂丘が次第に大きくなってくる姿には、「すごいところに来てしまった」感があります。バスですぐに着いてしまうと、きっとそんなこともないのでしよう。

砂丘の上に登頂し、日没をすごす
現在は土足禁止のようですが、私が行った当時はとくに足元の規制はありませんでした。とはいえ靴の中に砂が入ってくるので、登る前に麓で裸足になり砂丘にチャレンジです。砂はとても柔らかく、足を入れたそばから崩れ出していきます。なので登ったつもりでも、1/3ぐらいはまた下に下がります。たかだか100mほどの砂丘ですが、登るのにけっこうなエネルギーが必要でした。
息急き切り、ようやく砂丘の頂上に出ました。尾根の部分は固くて比較的歩きやすく、私は人気の少ないところまで移動しました。ちょうど日没が近づき、太陽がオレンジ色に変化していきます。どこまでも続く砂の海原。その向こうには何があるのでしょう。さまざまなことが頭の中に浮かんでは消えて行き、遠くにラクダの隊商の幻影が見えたような気もしました。私はさらさらと音を立てる砂の音に耳を傾け、砂丘の向こうに沈むまで太陽を見続けました。
その後も世界各地で素晴らしい砂丘に出会いました。それぞれすばらしかったのですが、子供の頃にテレビで見た「シルクロードの砂丘」のイメージ通りなのは、やはりこの鳴沙山の大砂丘でした。目の前に広がる砂漠のパノラマのインパクトは大きく、この砂丘に登ったことは今でも忘れられません。これも私の“一生モノの旅”のひとつなのです。
[DATA]
鳴沙山
開園:5:30〜21:30(4/1〜10/31)、7:30〜19:30(11/1〜3/31)
料金:120元